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声高かに正義を発するもの 

人種差別反対


j(19).jpg

当時黒人差別が撤廃されて4年目であったが、まだまだ人々の間では偏見は根強く残っていた。エリザベス・エックフォード(Elizabeth Eckford)はそれまで白人しか受け入れてこなかった学校へ入学した最初の黒人の一人であったが、当時の白人たちが大いに抵抗を示した。学校に来る彼女をけなす白人ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)が写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。40年間この写真によって苦しめられたヘイゼルは1997年にエリザベスに謝罪し、二人が仲良く並ぶ写真を撮っている。(1957年ピューリッツァー賞受賞作)




写真が訴えるちからには、驚くべきものがありますね。

『肌の色で差別するなんて酷い時代があったんだね』っていうためにこの写真を載せたわけではないのです。

みなさんが人種差別をしない人達であることはわかってます。ペカリは写真を見て、いろんなことを思い浮かべてみたのです。

はたして、正義を主張しているのは誰なのか?





自分がひとりの人を非難する場面がなかったか? そのとき、自分こそが正義だと考え正義のために声を高らかに上げた。そう、僕は正義の味方だった。(写真の場面、伝統を重んじることが正しいという考えは根拠あるものだ)

自分が皆から非難される場面がなかったか? そのとき、凛としていたか? 自分のしたいことのために背筋を伸ばしたか?


多数が支持することに従うのが民主主義のルールですが、多数決で決めてはいけないことがあります。ひとつは、リンゴが木から落ちるという物理法則・自然界の法則です。多数決でリンゴが木から落ちないと決めても決めなくても落ちるわけです。あたりまえですね。
もうひとつ、多数決で決めてはいけないことがあります。人間の尊厳をそこなう行為の強制です。『ペカリさんはこれからサル山で暮らしてください。食料は有り余るほど与えます』たとえ全世界の人々が賛成しても嫌ですね。(1日くらいならいいかも?)



写真は自分を客観視するための道具になります。中央の人物が奈良カレー事件の林被告だとしたら、どうでしょう?
あなたはこの写真の中にいないでしょうか?  (ペカリは居ました・・・すみません)

comment

想像するの難しいって声がたくさん聞こえてくるような気がします。無理かなあ? がんばってみて。お願い。
  • 2009.05.13 22:26
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  • ペカリ |
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想像してみて下さい

赤信号、みんなで渡れば怖くない。
そう、怖いのは集団です。

太陽の光を虫眼鏡で集めて一点を焦がすようなことをする集団です。

でも太陽がないと生きてけないから、
誰も太陽が悪いって言えないんです。

ペンギンの頭ではこんなことしか思い浮かびません。
早く修行してりっぱなペンプラチナになりたいです。
(わかりにくいぼけ…)

まだ過労中なので失礼します。
  • 2009.05.13 22:57
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  • オイラ |
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その時の状況によって、3人ほど、当てはまりますね。
じゃあどの立場のときが一番辛いかって言うと、その場ではエリザベスですが、後になってから考えて自尊心が傷ついたのはっていえば、やはり白人女性の立場。ずるいのは監視する警官の立場。
正義の定義は、あるとき反転する事もあります。
自分の行動を、周りに流されないでもいいくらいの知識と判断力と、信念をもてたら、
変わり者といわれようが石のつぶてを受けようが、たえられるのでしょう。
生きているうちに認められたら、結構ラッキー。
世界の偉人には、亡くなってから評価された人のなんと多いことでしょう。
私は凡人凡人。スッゴク凡人です。
  • 2009.05.13 23:50
  • URL |
  • えめる |
  • edit |

想像してみましたが、私はいませんでした~。
(想像するのって最後の段落の問いですよね?)
公の場や責任が発生する場ではあまり発言せず、
友人同士の会話や頭の中では許せん!とか言ってるタイプです。

こういう写真(記録として残っている過去の出来事)から
別のシーンを仮定、想像し、自身のモラルと照らし合わせるのは
非常に興味深い試みですね。
道徳の授業みたいで私好きです。
他の方の意見も含めて、自分の性格(一部分ですが)を
見直すきっかけになるような、そんな気持ちになりました。

本文中の「正義を主張しているのは誰か」という言葉も凄く興味深いです。
写真に写ってる人達に野次馬がいないとすれば、
皆自分が正しいと思ってそうです。

そう思う根拠としては、当時のカメラといえば、恐らくかなりの大きさで、
かつ新聞社や写真屋といった限られた人しか持ってないでしょうから、
誰の目から見ても写真を撮る事がわかっている状態だったと思います。
それなのに集団とは言え、なお罵声を浴びせられる、
逆に私はそんな事言われる筋合いはないと堂々と歩ける、
この行動自体がお互い正義を主張しているように思えたからです。

ふう、久々に頭を使って疲れましたのでこの辺で(笑)
ペカリさんの記事はどれも頭を使うので面白いです。
私にはできない><
  • 2009.05.14 11:06
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  • D-3 |
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正義と悪

諸悪根源を論じるのゎ
置きかえると
自分を正義と主張する行為でしかないとも言えますが
何をもって悪とするか正義とするのかゎ
その国によって、人種によってはたまた宗教によって性別によって
多種多様ですね

1枚の写真といえども
背景があり、その瞬間を切り取った事実が垣間見えますよね

差別する風潮ゎ大人の社会が作ったもの
子供ゎそれに巻き込まれ流されただけの被害者とも言えます
責められるべきゎヘイゼルだけでゎなかったはずなのに
社会ゎ常に誰かに矛先を向けたがるものです

本当の正義とゎ
全てを洗い流す天からの雨のようなものでしょうか
  • 2009.05.14 14:46
  • URL |
  • 愛音 |
  • edit |

正義とは、等しくバランスの取れた状態のことだと私は考えます。
どちらかに偏ってそこにある事を見落とす事が無い状態。

そのバランスの取れた状態では、哀れな羊は必要ありません。
大衆の生贄は要らないのです。

正義の名をかざして、誰かを吊るし上げる事は間違っているのに、哀しいかな世の中は、正義を「力」と勘違いしているように思います。


私は写真の中に居ました。
カメラで訴える力に溺れて、すべてを勘違いし、写真の中に確かに居ました。

なんとも頓珍漢な事を書いてますね。ごめんなさい。

それにしても、この写真はすごい。
ここには写っていない人達のエネルギーというのだろうか・・・
そんなものまでも感じます。
  • 2009.05.14 19:49
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  • e_fyu |
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こんばんは!

確かに私はいないと思いたくてもいるんでしょうね。

自分で気が付かない振りをして・・・
心の中にはきっといるって・・
あぁ、嫌だなぁ、確信してしまったかも!
  • 2009.05.14 20:03
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  • けい |
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オイラ さん

> 赤信号、みんなで渡れば怖くない。
> そう、怖いのは集団です。

うん、うん。どうして皆群れたがるんだろうね。

> 太陽の光を虫眼鏡で集めて一点を焦がすようなことをする集団です。

アリさんをいじめるみたいにね。

> でも太陽がないと生きてけないから、
> 誰も太陽が悪いって言えないんです。

意味深ですねえ。

> ペンギンの頭ではこんなことしか思い浮かびません。
> 早く修行してりっぱなペンプラチナになりたいです。
> (わかりにくいぼけ…)
> まだ過労中なので失礼します。

よく寝てください。このところ働きすぎですよ。
  • 2009.05.14 20:53
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  • ペカリ |
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えめる さん

> その時の状況によって、3人ほど、当てはまりますね。
> じゃあどの立場のときが一番辛いかって言うと、その場ではエリザベスですが、後になってから考えて自尊心が傷ついたのはっていえば、やはり白人女性の立場。ずるいのは監視する警官の立場。

そう、状況によっていろんな立場になってます。

> 正義の定義は、あるとき反転する事もあります。

状況、関係のしかたで変わるのが「正義」ですから。

> 自分の行動を、周りに流されないでもいいくらいの知識と判断力と、信念をもてたら、
> 変わり者といわれようが石のつぶてを受けようが、たえられるのでしょう。

自分がしたいこと、やりたいことを意識して過ごせたらいいですね。

> 生きているうちに認められたら、結構ラッキー。
> 世界の偉人には、亡くなってから評価された人のなんと多いことでしょう。
> 私は凡人凡人。スッゴク凡人です。

ううん、えめるさんはユニークな人です。
  • 2009.05.14 20:57
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  • ペカリ |
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D-3 さん

> 想像してみましたが、私はいませんでした~。
> (想像するのって最後の段落の問いですよね?)
> 公の場や責任が発生する場ではあまり発言せず、
> 友人同士の会話や頭の中では許せん!とか言ってるタイプです。

うん、違う場面なら登場するかも知れませんね。

> こういう写真(記録として残っている過去の出来事)から
> 別のシーンを仮定、想像し、自身のモラルと照らし合わせるのは
> 非常に興味深い試みですね。
> 道徳の授業みたいで私好きです。
> 他の方の意見も含めて、自分の性格(一部分ですが)を
> 見直すきっかけになるような、そんな気持ちになりました。

ええ、想像力のある人ほど多面的なものの見かたができるようになると思うのです。

> 本文中の「正義を主張しているのは誰か」という言葉も凄く興味深いです。
> 写真に写ってる人達に野次馬がいないとすれば、
> 皆自分が正しいと思ってそうです。

同感です。

> そう思う根拠としては、当時のカメラといえば、恐らくかなりの大きさで、
> かつ新聞社や写真屋といった限られた人しか持ってないでしょうから、
> 誰の目から見ても写真を撮る事がわかっている状態だったと思います。
> それなのに集団とは言え、なお罵声を浴びせられる、
> 逆に私はそんな事言われる筋合いはないと堂々と歩ける、
> この行動自体がお互い正義を主張しているように思えたからです。

観察力みがいてますね。ペカリも同じように見えました。

> ふう、久々に頭を使って疲れましたのでこの辺で(笑)
> ペカリさんの記事はどれも頭を使うので面白いです。
> 私にはできない><

ありがとうございます。喜んでもらえたみたいで嬉しいです。
  • 2009.05.14 21:02
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  • ペカリ |
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愛音 さん

> 諸悪根源を論じるのゎ
> 置きかえると
> 自分を正義と主張する行為でしかないとも言えますが
> 何をもって悪とするか正義とするのかゎ
> その国によって、人種によってはたまた宗教によって性別によって
> 多種多様ですね

ええ、自分と他人が存在してその間の関係・状況によって変わるのが正しいこと・悪いこと(してはいけないこと)なのですね。

> 1枚の写真といえども
> 背景があり、その瞬間を切り取った事実が垣間見えますよね

そうですよね、びっくりするくらい。

> 差別する風潮ゎ大人の社会が作ったもの
> 子供ゎそれに巻き込まれ流されただけの被害者とも言えます
> 責められるべきゎヘイゼルだけでゎなかったはずなのに
> 社会ゎ常に誰かに矛先を向けたがるものです

そういうのありますね。

> 本当の正義とゎ
> 全てを洗い流す天からの雨のようなものでしょうか

愛音さんの調べで洗い流してほしいですね。
  • 2009.05.14 21:10
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  • ペカリ |
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エフさん

> 正義とは、等しくバランスの取れた状態のことだと私は考えます。
> どちらかに偏ってそこにある事を見落とす事が無い状態。

うん。いいですね。

> そのバランスの取れた状態では、哀れな羊は必要ありません。
> 大衆の生贄は要らないのです。

同感です。うまいなあ喩えが・・・さすがです。

> 正義の名をかざして、誰かを吊るし上げる事は間違っているのに、哀しいかな世の中は、正義を「力」と勘違いしているように思います。

ええ。

> 私は写真の中に居ました。
> カメラで訴える力に溺れて、すべてを勘違いし、写真の中に確かに居ました。

ペカリもです。

> なんとも頓珍漢な事を書いてますね。ごめんなさい。

いえいえそんなことないです。

> それにしても、この写真はすごい。
> ここには写っていない人達のエネルギーというのだろうか・・・
> そんなものまでも感じます。

感じますね。写真が一番叫んでいるのかも知れませんね。
  • 2009.05.14 21:13
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けいさん

> 確かに私はいないと思いたくてもいるんでしょうね。

ペカリもいましたから・・・

> 自分で気が付かない振りをして・・・
> 心の中にはきっといるって・・
> あぁ、嫌だなぁ、確信してしまったかも!

まあ、その、そうやって自分をふりかえることができたら、できないよりずっといいと思います。はい。
  • 2009.05.14 21:15
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  • ペカリ |
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臭いもの。

想像してみて下さいと言われ、想像してみました。

罵声を浴びせる者、受ける者、見て見ぬ振りをしている傍観者。
自分が過去、実際の行動に起こしたか否かは問題ではなく(例え脳内のことであっても)どれもが嫌な古傷のように思えて記憶に蓋をしてしまいたくなりました。

希望を言えば何事にも関わりたくない、ただ静観しているだけの傍観者でありたい・・・。
それはそれで、思っているのに意見を言わないのは卑怯なように思えてしょうがないのです・・・。
(まぁ、強く意見がない時もあるのでそれは別として。笑)

何気にそういった場面に出くわしてしまった時、ヒトは一瞬で当事者として巻き込まれてしまう。
そして必ず何者かの立場の選択を迫られる。
優柔不断な私ではありますが、感情のままに罵声をあげ相手を追い詰めるような事だけはしまいと心がけてます。

正義は悪習の中でしか生まれない。
それ以外は『大多数の意見』であって『正しい意見』ではナイと常に意識してます。
  • 2009.05.14 22:52
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  • そらまめ |
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そらまめ さん

> 罵声を浴びせる者、受ける者、見て見ぬ振りをしている傍観者。
> 自分が過去、実際の行動に起こしたか否かは問題ではなく(例え脳内のことであっても)どれもが嫌な古傷のように思えて記憶に蓋をしてしまいたくなりました。

ええ、いろんなことが思い出されますね。

> 希望を言えば何事にも関わりたくない、ただ静観しているだけの傍観者でありたい・・・。
> それはそれで、思っているのに意見を言わないのは卑怯なように思えてしょうがないのです・・・。
> (まぁ、強く意見がない時もあるのでそれは別として。笑)

前向きに生きていれば必ず人と関わるのですから・・・意見を言うのは必要なことです。

> 何気にそういった場面に出くわしてしまった時、ヒトは一瞬で当事者として巻き込まれてしまう。
> そして必ず何者かの立場の選択を迫られる。
> 優柔不断な私ではありますが、感情のままに罵声をあげ相手を追い詰めるような事だけはしまいと心がけてます。

そうですね。自分の立場からしか見れない・考えない行動はつつしみたいとペカリも反省してます。

> 正義は悪習の中でしか生まれない。
> それ以外は『大多数の意見』であって『正しい意見』ではナイと常に意識してます。

主義で主張するのではなく、自分がしたいことのために背筋を伸ばして行動する、そんな人でありたいと思います。だってカッコイイですから♪
  • 2009.05.14 23:09
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  • ペカリ |
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絶対の正義はないのか?

反論をたくさん食いそうですけど、私は、正義には相対的な正義と絶対の正義があると思うんですよ。
例えばこの例で言うと、「白人ばかりの伝統校に、何も黒人を入れることはないじゃないか。こうやって波風をわざとたてて私たちの伝統ある校風を乱すようなことしなくったって、黒人は黒人の学校へ行けば?」という考え方は、これは相対的正義でも絶対的正義でも何でもありません。
不正義です。
「人種差別は悪だ。」「いじめは絶対にしちゃいけない。」こう発言する人がいたとしたら、それは、絶対の正義だと私は思う。
どんな理由があれ、これを否定するわけにはいかない。もしこれを相対的な正義と言って、「考え方と場合によっては、これって間違ってるんじゃない?」と言うなら、「どういう場合にならいじめをしてもいいと言えるのか?」と、逆に問いたいくらいです。絶対的正義というものは、やはりある、と私は思う。

微妙で難しいのは、この写真を撮り、それを発表して、ピュリッツアー賞をとったカメラマンと、それを掲載した雑誌(?)、この写真を20世紀のトップ100の写真に選んだ選定委員や、ヘイぜルを差別主義者として非難しつづける私たちを含める読者の立場です。これは絶対的正義とは言い切れない部分がおおいにある。ピュリッツァー賞など、報道写真は、この地球上の悪を人に伝えて問題喚起する、という点では立派だけれど、戦場にいてあなたは死体の写真を撮って何をしていたんだ。写真を撮るより、その場にいたのなら、虐殺を止めるべきだったのでは、などと言う人もいます。こうなってくると、誰が正義なんだかかんだかややこしくなってくる。報道カメラマンというものがいなければ、戦争の実態は世界に伝わらない。しかし、カメラマンたちは、大抵の場合、軍隊の中で守られています。時にはそっちの側の御用カメラマンとして、意図的に編集した報道をすることだってできる。確かに、あなたは戦場で殺戮を目前にしながら、止めなかったのか。あなたも同罪じゃないか、と責める人には一見正義がありそうです。しかし、じゃあ、あなたは、ボロ布のようになった北ベトナム兵の体をずるずると持ち上げて笑っているアメリカ兵の写真を見て、その死体に目が釘付けになり、一種の興奮を覚えなかったか?それは悪意ではないか?と問うこともできます。
こういうものを、ぺカリさんは問いかけていらっしゃるんじゃないでしょうか?
私の内にもある悪意。
正義を語りながら、そこに本来不必要な昂揚感や、自己肯定感や満足感があるなら、それは本当の正義感とは言えないかもしれない。
常に自分の心を深く覗きこんでみよ、ということでしょうね。
興味ある深い問いかけだったと思います。

次の記事には私はノーコメントです(笑)。
敢えて語れとおっしゃるなら、また長々語ることもできますけど?(笑)。
  • 2009.05.17 01:34
  • URL |
  • 沈丁花さん |
  • edit |

沈丁花さん

>絶対的正義がある・・・

ええ、人間の尊厳をそこなう行為の強制はいかなる場合も許されません

今日、人種差別を正義だという人はいないでしょう。この記事で考えていただきたかったのは別のことなんです。愛を越えるための方法なんです。

場面を限定せずに想像力を駆使して広げること。様々な立場状況に自分を置いてみること。自分を客観的に見ること。こういった行為が愛と憎しみを越えて助け合うことができるチカラ=共感力を産み出すのではないかと考えるのです。

>私の内にもある悪意。正義を語りながら、そこに本来不必要な昂揚感や、自己肯定感や満足感があるなら、それは本当の正>義感とは言えないかもしれない。常に自分の心を深く覗きこんでみよ、ということでしょうね。興味ある深い問いかけだっ>たと思います。

いえ、違うんです。自然に沸き起こる感情をそのまま受け取るのがいいと思います。人間とはそういうものなのだと納得するのです。大事なのは想像力だと思うのですよ。パターンを限定しては現実を理解しにくくなるんじゃないかと思います。

>
> 次の記事には私はノーコメントです(笑)。
> 敢えて語れとおっしゃるなら、また長々語ることもできますけど?(笑)。

ええ、ぜひ語ってくださいませ。待ってまーす。

人間って

「正義」という言葉が「自分たちに都合のいいもの」を押し通す大義名分として使われることの無いように気をつけたいけど、なかなか数の多さには太刀打ちできない難しさがあるなあと思いました。
本当に正しいことを言いたくても、自分や家族の身に危険が及ぶようでは言えないものです。
こういう写真は人々の良心に直接訴える力があるからすごいなあと思います。良識ある人が増えるのを願うばかりです。
  • 2009.05.17 08:51
  • URL |
  • 雨宮樹理亜 |
  • edit |

雨宮樹理亜 さん

> 「正義」という言葉が「自分たちに都合のいいもの」を押し通す大義名分として使われることの無いように気をつけたいけど、なかなか数の多さには太刀打ちできない難しさがあるなあと思いました。

そうですね。自分がわがままだけ言ってると考えてしまいがちですし。

> 本当に正しいことを言いたくても、自分や家族の身に危険が及ぶようでは言えないものです。

北朝鮮の状況下ではそのようなことが起きてるでしょうし、私達の暮らしの中でも組織(会社・学校・地域)のなかでは、保身を第一に考えるものです。

> こういう写真は人々の良心に直接訴える力があるからすごいなあと思います。良識ある人が増えるのを願うばかりです。

ええ、そう思います。時々はこのような自分を映し出すものに触れて磨いて暮らしたいですね。

またきちゃった。

この写真で、も一個思ったことね。
私もこういう写真を取れる人間になりたい。
写真家じゃなくて、感性という点に於いてです。
  • 2009.05.17 23:33
  • URL |
  • えめる |
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えめる さん

歓迎でーす。何度でも語ってくださいね。

> この写真で、も一個思ったことね。
> 私もこういう写真を取れる人間になりたい。
> 写真家じゃなくて、感性という点に於いてです。

う~ん。場面を写真のように切り取る感性を持ちたいということですね。
この写真の場合はフォーカスが限定されていません。写っている全ての人がそれぞれに何かを考え行動しています。その瞬間が切り取られています。
なかなか、難しい挑戦かも知れませんががんばってくださいね。

わたしは正義は無いと思っています。
正義とは正しい義ではなく、自分を”正”当化するための大”義”名分だからです。
だから、正義を訴えているといえば、その場の全員じゃないかと思います。
もしわたしが現場にいたなら、写真には写ってないでしょう。
わたしは手前のほうで、エリザベスを迎えていたいからです。
と、長々と変なこと書いちゃってごめんなさい
(つд・)
  • 2009.05.22 15:34
  • URL |
  • 月 黎風 |
  • edit |

月 黎風 さん

> わたしは正義は無いと思っています。
> 正義とは正しい義ではなく、自分を”正”当化するための大”義”名分だからです。

なるほど。

> だから、正義を訴えているといえば、その場の全員じゃないかと思います。

同感です。

> もしわたしが現場にいたなら、写真には写ってないでしょう。
> わたしは手前のほうで、エリザベスを迎えていたいからです。

あー、いい子ちゃんですねえー(笑)。

> と、長々と変なこと書いちゃってごめんなさい
> (つд・)

いえ、いえ、皆がそれぞれに色々なことを考えていただけたらと書いた記事ですから、ありがとうございます。
  • 2009.05.22 20:23
  • URL |
  • ペカリ |
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まあ、なんていうか・・・写真の中央に月さんは居たと思う。
って、エリザベスの後ろで叫んでる人ですか?><
それだけは嫌(つд・)
  • 2009.05.22 23:24
  • URL |
  • 月 黎風 |
  • edit |

月 黎風 さん

> まあ、なんていうか・・・写真の中央に月さんは居たと思う。
> って、エリザベスの後ろで叫んでる人ですか?><
> それだけは嫌(つд・)

いいえ、月さんは背筋を伸ばしたエリザベスでしょう。

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